2006年10月2日 「21回目のアマゾンの旅から戻りました」
6月初旬に事務所の引越があり、その2週間後位にアマゾンへ出発。
先週21回目、約3ヶ月のアマゾンの旅から、またもや生きて戻った。
今回も大変な旅が続いた。
ブラジリアから1500キロの道程を車で移動することは、運転こそしなかった
が、ただ乗っているだけでも体力を消耗する。それにしても去年に比べると数
段道路が整備されていた。
最初の目的地であるピアラスに着き、アマゾンの自然を満喫し、いよいよイン
ディオの集落も近く、胸躍らしていたが、セスナ機が到着し、カヤポ族のリーダ
ー格の人たちが全身、戦いの装束である真っ黒のボディーペインティングで現
れた。1年ぶりの嬉しい再会であったはずだが何だか様子がおかしい。その中
に15年間一緒に支援活動を続けている、私にとって戦友のような存在である
カヤポ族の責任者であるメガロンの姿もあった。
彼が説明する。最近大豆や石油に代わる燃料としてエタノールの原料になる
サトウキビの需要が国外で増加し、森が急速なスピードで大豆畑やサトウキビ
畑に様変わりしている。収穫したこれらの作物を輸送する手段として道路の拡
張整備が進み、再生不可能な自然破壊が深刻な問題になっている。この状況
を憂いたカヤポ族は、ブラジル政府に抗議したが、一向に話しあいの場を設けて
くれず、過激な手段として道路封鎖をすることに決定したと言う。国道163号と
シングー地域を横断している国道080号の2カ所同時に、封鎖する計画だった。
事前に外部に漏れるとまずいので内密に事を進めていた。私は道路状況が
改善された理由を理解した。大豆の大企業が出資し、森の生態系を崩し運搬が
スムーズになるよう道路整備が行われたわけだ。
この話を聞いた3日後の7月18日に決行し、大型トラックが道路に溜まり混乱
した。ブラジル政府もこの事件で、やっとインディオとの話し合いをもつことを約束
したが、そう簡単にはいかないだろう。おおかたの男たちがこのムーブメントに
加わっていたので、インディオ集落訪問を諦め、私たちはサンパウロに戻った。
そしてこのムーブメントが長引きそうだと判断したメガロンは、一度村に戻るよ
う皆に指示したことを確認してから、またもや私はカヤポ族の集落を訪れた。
出費もかさみ、おまけに現地通貨のレアルが去年の倍近くに上がり、結局この
ムーブメントの資金援助もするはめになり、従来の支援事業である植林や識字
プロジェクトなどの支援なども実施したので持参した資金は底をつき、私のクレジ
ットカードで不足分をおぎなった。
それにしても、大豆やエタノールは先進国に暮す人間が使い、自然と共生して
いる民が、その犠牲になるなんて、何て理不尽なことだろう。
日本に戻る時に利用したアメリカンエアーラインが、ニューヨークから日本に飛
ぶ便が3機も故障し、4機目でやっと帰ってこれた。アメリカに着いた時に税関で
服まで脱がされそうな勢いに、一体何様のつもりなのかと、はらわたが煮えくり
返るほど怒ったが、これが物質世界の成れの果てだと理解せざるを得なかった。
ピアラスでメガロンと再会し、道路封鎖の決行を間近に控え、緊張と悲しみが
一杯の彼を、別れ際に抱きしめた時、私は森の悲鳴を感じ嗚咽してしまった。
アマゾン支援の現状は厳しく重いが、私は覚悟して続けていく。
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