2005年6月30日


 
        「20回目のアマゾンの旅を終えて」
     

   6月13日に20回目のアマゾンの旅から戻りました。いやあ今回も、喜んだりへこんだりと盛り沢山の出来事がありました。今は日本に身体はあるのですが、魂は未だ、遥か彼方のジャングルに置いて来たままです。

 現状は去年より加速度を増し森が牧場や大豆畑に変身していました。大きなブルドーザー2台の間にでっかいチェーンを渡し、ガリガリと森を破壊していきます。無惨にも木の根は天を向き、枝や葉はズタズタに折れ、これを人間に例えると、大災害の犠牲になった亡骸のような、それはそれは見るに耐えない悲しい光景でした。

 ブラジリアからインディオ保護区までの約1,500キロメートルの道程を、マイクロバスで移動しましたが、周りの景色は牧場と大豆畑。これから燃やされる根こそぎ裂かれた森の死骸が延々と続き、私は悲しみを通り過ぎ、何ともいえない怒りがこみ上げてきましたが、豆腐や納豆を食べることを考えると、結果的にこの破壊の原因に自も関わっているという負い目も感じました。BSE(狂牛病)がアメリカで見つかり、EU諸国はこぞってブラジル産の牛肉に目を付け、輸入を開始したために、アマゾンの森は猛スピードで牧場に様変わりしました。

 この道程を1ヶ月前に通った、パウロが驚いた様子で「この間ここを通った時はまだ森があったよ」と言いましたが、インディオ保護区のすぐそばまで開発の波は、ヒタヒタと押し寄せ、いずれインディオ社会まで飲み込んでしまうのでしょう。そうなる前に、インディオの人が自助努力で貨幣制度の文明社会と対峙しなければ、ジャングルと彼等の文化は消滅してしまいます。

 次世代が存続していく知恵を、長老や呪術史から継承する目的のために、シングー地域中央に位置するピアラスに学校(図書館も含む)を建設しました。500年前に銃という武器で1000万人いたインディオが、現在約30万人に減少してしまいました。

 文字を持たないこの地の人が、ブラジル社会で生き延びていくには、現在の武器であるコンピューターを駆使し、ブラジル中のインディオネットワークを確立したいという、若い世代の強い要望に答え、この学校にコンピューターの導入もしました。

 不法侵入者とのトラブルが続出している植林現場の視察は、命の危険が伴うので今回行けませんでしたが、カヤポ族の植林責任者であるプユーから、1万本の苗木(マホガニー)の植林作業がスムーズに遂行しているという報告は受けました。

 去年は会えなかったラオーニと再会出来たことが、今回の旅で嬉しかったことの一つですが、彼の話から、この星の未来が厳しい状況で、時間がそんなに沢山残っていないことを実感しました。

 ボツボツと旅の話を何回かに分けてお伝えします。





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