2000年2月21日

 
        「インディオの少女の通過儀式」
     

インディオの少女が初潮を迎えるとき。通過しなければならないイニシエーションがあります。彼女はその日から約1年間。隔離された場所をあたえられ、誰とも接触ができません。母親が食事を入口に置くのですが、まったく人との接触はもたず、対話をすることもないのです。そうして彼女は自分と向き合います。誰にも頼らず一人っきりで毎日を過ごします。彼女は対話をします。自分自身と。

「私は大人になる。もう今までのように色々な人に育ててもらうのではなく、自分の足でしっかりと大地にたって生きていくのだ。私は社会の中でどんな役割を責任をもって果たすのだろう。私の魂はどんなことをしたいと叫んでいるのか。みんなと一緒に楽しく穏やかに過ごすにはどんな役割を担って生きていくのか。わたしはどうして生まれてきてそして私はどう生み出すのか。私に足りないもの、これから何を学びたいと思っているのか。・・・・・・」

イニシエーションを終え、外に出た少女の顔には凛として、大地にすくっと足がつき、何の迷いも不安もなく、自分自身の力を十分に認識して、そして母になるための準備が整った、なんとも力強い女の顔をしています。生きるということに覚悟を決めて、どんな状況に陥っても自分自身で決断できる豊かな心に育ちあがっているのです。1年間の間に伸び放題の髪の毛の中から除くその鋭いまなざしを私は決して忘れないし、これほどのエネルギーの強さを目の当たりにして、「わたしは大人になる「とき」をどれほど大切に感じ取ったのだろうか。今までの自己との対話の回数や時間は、彼女が過ごした1年間に比べてどれほどのものなのだろうか。」という想いがわきあがりました。そうして周りにいる先住民の大人の女性を見回したとき、でてきたばかりの、おとなになったばかりの彼女をまるごと包み込む暖かな視線を見つけました。そう、彼女達はすべてこの儀式を通過してきているのです。彼女達の自信をもった迷いのない生き方をさらに尊敬する瞬間です。

情報に振り回される文明社会の中にあって、わたしはどれだけ自分自身という人間の内部を見つめてきたのだろう。何にも頼らずとも迷わずに自分自身で決断をくだせるそんな力を人間は本来もっているはずなのです。答えを外に求めようと地に足がつかない大人がインディオの社会には存在しない。何万年も絶えることなく続いてきたこの儀式がきっと力強く生きることのできるインディオの素晴らしい社会をつくりあげることに役立っているのだと気づかされました。


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