2000年2月3日


 
       「身の回りのものはどこからきたの?」
     

アマゾンから帰って、さぁ、日本食でも食べよう!とスーパーへ行くと、まず改めて再認識するのが、どの商品も顔がなくなっちゃってること。きれいにパックされたお魚の切り身やお肉が整然とならんでいるのを見ると、現代社会でものを大切にしなくなった、といわれる要因のひとつがちょっとわかるような気がします。
小さい頃から、みんなきれいに用意されたものをお金さえ出せば買える社会。口に入れるものがいったいどこからどのように来て、どんな生き物が自分に命を預けてくれたのか、ぜ〜んぜん、わかんない???
「ものを大切にしましょう。」なんて標語が守られるのは、前提条件としてまず、1人1人がすべてのものに対して、生かしてもらって心から”有難い!”と思う、そんなシンプルな気持ちがあってこそ。自分の喜びと同時に誰かが必ず大切な命を犠牲にしてくれている。
自然が自分を作ってくれている。

先住民の世界では、生きているサルが射落とされ、息絶えていく姿から、最後はアミの上で焼かれるという口にするまでの過程を見つめます。
過程を知っている大人も子どもたちも決して食べ物を粗末にしません。

多くの人がきちんと自然に感謝をできるようになったときに、はじめて社会がかわっていけます。
だって、1人1人がもっともっと便利な生活を求めているのだから、そんなお客様のためにお店も一生懸命、売れる商品を作り続ける。賞味期限が過ぎたあまった食料もどんどん入れかえる。いつまでも、いつまでも人間の欲望優先の大量消費社会が続いていくと、とりかえしのつかないくらい資源がむさぼられていきます。
そうは言っても、そんな社会を急に変えることは難しい。少なくとも、その社会の中にあって、自然と自分、人と人、宇宙と人も全部つながっていて、自分が生かされているのだという強い自覚を持ちつづけることがまずは第一歩。

アマゾンの森が自分の身を焼き焦がしながら、われわれに訴えています。
頻発する気象変動がわたしたちに「早く気づいて!」とサインを送ってくれています。
今、この瞬間から、ちょっと立ち止まって、考えてみる。できることから行動してみる。その気持ちが地球環境の破壊をくい止めることにつながるのだと思っています。



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